日本関軍
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日本関軍 (にほんせきぐん) は、2005より主に都内で活動中の日本のロックバンドである。現在7人編成である。
ブルースや、ジャズなどをルーツとしているメンバーが多く、型にはまらないバンドなどと言われる。人民帽に関ティがトレードマークである。


目次 [非表示]

1 メンバー
2 エピソード
3 勲章




メンバー[編集]

金井貴弥… ボーカル・ギター/リーダー/作詞作曲担当
関口智幸… ギター・ボーカル/作詞作曲
河合わかば… トロンボーン/アレンジ
郡司顕吾… パーカッション/ボーカル
澤田聡(さとる) … ドラム、パーカッション/コーラス
吉田靖雄… ベース
福森康(やすし) … ドラム


エピソード[編集]

ある日、都内でロックバーを経営していた関口智幸と、そこの常連客だった金井貴弥が、何故か二人きりでライブをやることになったが、客がまったく入らず、活動停止。『日本関軍』という名称のみが残った。
その後、金井と同じく関口の経営するロックバーの常連だった、居酒屋『洗濯船』のマスターに、自分の店でライブをやるようにと勧められ、そのライブのために、現在のようなバンド形態に再編成された。

日本を代表するトロンボーン奏者の一人で、人気バンド、米米CLUBや、Big Horns Bee、クレイジーケンバンドのメンバーとして活躍していたトロンボーンの河合わかばは、入隊した理由について「ギターの関口に一方的に渡された人民帽に名前を『わかば』と縫い付けられたからだ」と語っていたが,現在は日本関軍の中心メンバーとして、重要な役割を果たしている。

初代ドラマーの澤田聡が脱退することになり、一時は解散も考えていた金井が、日本ジャズの聖地・新宿ピットインで、福森康を発見した。
終演後、福森が所属していた一流ジャズサックス奏者・臼庭潤(うすばじゅん)のグループからポスティングシステムを使って福森を獲得した。

初期の頃は、ライブ前に『謎の大佐』が出現し、楽器の転換中、黒子にセッティングの指示を出していた。

2006,2,26『奥さん事件です』と銘打ったライブイベントで、今や伝説と化した『奥さん』が登場した。
『奥さん』は、多額の保険金が入り、ライブ会場にて、ファンに現金をすべてばらまき、その後、消息を絶った。

ギターの関口智幸が代表曲『関軍にレモンティ』のギターソロ後半で、ジャンプを決める場面があるが、どう見ても、ジャンプというより幅跳びだ、との指摘がある。

ベーシストの吉田靖雄は、前述の洗濯船ライブの際、顔見知り程度であった金井から突然召集があり、人民帽を渡された。肉まんが好きである。

ドラムとして復帰した,澤田聡は、関軍初期の頃、奇跡的なパフォーマンスで、全国に知れ渡り、数々の伝説を残した。 パフォーマンスの他にもびっくりエピソードが多く残り、そのひとつが『幽霊ビート』という曲になっている。

日本関軍がTVに出演した際、泥酔していた関口智幸の誕生日を本番中に祝った。

『五億の男、ジョージ』による、エクササイズ、『ジョージズブートキャンプ』をライブ中、披露し、ファンに衝撃を与えた。
ちなみに『五億の男、ジョージ』とは、主に日本関軍ライブ中盤に、いわゆる『ジョージのテーマ』で登場する、ボスキャラである。持ち歌は『五億の男』『俺の花道』『俺BOSS』『バブルガムをくれ』である。
前述の『ジョージズブートキャンプ』など、毎回様々なホームランネタを披露するが、三振に倒れることも多く、弱点も指摘されている。しかし、関軍の中では抜群の人気を誇り、OLを中心とした女性層から“抱かれたい男No.1”とされている。関口智幸がボーカルをとるヒット曲、『しげる』の演奏中、ステージに居ないことが多いパーカッションの郡司顕吾が、その正体ではないかと言われるが、その通りである。

日本を代表する有名ミュージシャンがゲストなどでしばしば登場する。
仙波清彦、バカボン鈴木(鈴木レボリューション・グランドオーケストラ44マグナム)、臼庭潤、 高橋香織、伊達弦、目黒幽霊くん、べんぞう(広瀬正道)

加塩人司、竹内悠馬、河合わかばのホーンセクションは,河合が,日本関軍のセカンドアルバム「とめどなくカタルシス」のレコーディングにおいて招集し,その後、怒髪天のレコーディングでもチームを組んだ。

関軍初の女性隊員、中澤まいのTwitterにおけるつぶやきが面白い。


勲章[編集]

1st『海賊版』が発売と同時にほぼ完売。

2006『関軍にレモンティ』が、洗濯船チャート3週連続1位を獲得。

2007『幽霊ビート』1位を獲得。

2008『チェルシー』をカバーした、ロックバンド、ゲイムスが、北関東大会で準優勝。

2010 2ndアルバム『 The Catharsis doesn't stop』発表 Bar森チャート初登場一位を獲得。

ジョージのシングル『俺の花道』発売

奇跡の関軍写真集・関写発売

家族ゲイムス2008

関軍遊戯殺人未遂DVD 発売

関軍タオル発表

連合関軍with鈴木レヴォリューションG.O.44マグナム

CSデジタル放送 e2 by スカパー! 194ch(インターローカルTV)にて毎週月曜日 22:00〜放送中の音楽情報番組『ReMuTV EX.(レムティービー・エキストラ)』に「日本関軍」が出演。

高円寺大統領選2009

総選挙 2012 関口がセンターを獲得。

2013 メンバーの相次ぐ挙式 出産ラッシュ

2014 ジャズベーシスト、土井孝幸氏に召集令状が届く。

金井がクレイジーケンバンドの横山剣さんのブログにて、差し入れのバームクーヘンを絶賛される。



 


~関軍物語~



―1―
日本関軍は2005に結成された。 友人の経営するガールズ・バーに赴いたとき、私の隣に奇妙な酔っぱらいがいた。店員がどうしても持て余している。

『せきちゃん』

そう紹介され、私はすぐに興味をもった。もってしまったので絡んでみると、近くでロックバーを経営しているという。
じゃあこんど伺いますから、といって後日、本当にいってみた。しかし『せきちゃん』は私のことをまるで記憶していなかった。なるほど。

『せきちゃん』がミュージシャンだと知らなかったが、どうせ向こうも知らないのだから、知らないもの同士、二人でライブをやることにした。
日本関軍の誕生だ。お客さんはいなかった。そりゃあそうだろう。ライブ中、せきちゃんは緊張し、譜面を逆さに見ながら脂汗をかいていた。
その汗が照明に照らされ光り、せきちゃんは輝いていてみえた。

その日になってみて、初めてギターが弾けるのだと知った。近くに寄ると焼酎の匂いがする。ズボンにカレーのシミがついていた。
梅雨の夜空が少し晴れた、そんな夜だった。

「たかちゃん、もう一件いきますか」

そんな調子で毎日のようにハシゴをかけ朝日をみた。

せきちゃんが往来を歩くと、まるでモーゼの十戒のように通勤通学の人海が割れ、海の底が狭い視界にみえた。
酔ったせきちゃんはコロッケが好きだった。コロッケを何個も何個も食べた。酔ったせきちゃんはブロッコリーも食べた。
ある朝、昭和のギャグを連発しながら歩いていると電柱に激突した。激突である。痛いという顔を間近でみた。
むき出しになったその歯と歯の隙間にブロッコリーが挟まっていた。妙に青々と新鮮なブロッコリーだと思った。

そんな感じで練習をするでもなく活動を開始した日本関軍は、ミーティングを重ね、洗濯船という居酒屋でライブをすることになった。
二人じゃどうもいかんかなこれ、という流れになって、隊員を強制加入させることになった。
一本釣り。
澤田聡、郡司顕吾、靖雄、二回目の作戦から河合わかば氏。
こうして日本関軍は誕生した。


―2―

初期の関軍は、6人編成。
2ギター、ベース、ドラム、トロンボーン。そしてパーカッションの郡司顕吾が金魚を飲むなど、独特なコーナーもあった。
演奏は荒く、曲もオリジナルが足らない。しかし勢いだけはあった。

しかし当時、本当に凄かったのは打ち上げだった。
みんな酒の飲み方が半端ない。そのため、安いところで飲もうなどと、適当なところへ行けば、安いから大丈夫といって馬鹿みたいに飲み、会計が高級焼き肉や、キャバクラのような金額になったりした。
信じられない。

ところが信じられないのはドラムの澤田聡という男だった。

奇想天外、人生をかけたネタの数々にみんな笑い過ぎて、具合が悪くなった。
関軍の打ち上げが神懸かりだというウワサが一部全国に広まり、打ち上げだけに来る、という人まで現れ、澤田はそんなプレッシャーもものともせず、更に上、その更に上のネタを隠し持ち、ここぞ、というときまで温存、最後に放出した。
それまで高円寺ナンバー1といわれた人生ネタの先人、関口智幸は、そんな澤田に激しく嫉妬した。
嫉妬のあまり裸になった。
しかし裸になる、というネタはやくざでいえば拳銃を撃ってしまうのと同じ、撃ったら最後、後始末がいつも大変だった。

高円寺北口ツアーという企画があった。
高円寺駅の北口にあるライブスポットのみを同じ月にブッキング、やるたびにお客さんが増えたが、店はどんどん小さくなる、というわけのわからないサクセスストーリーに、日本関軍という名前が次第に知られていった。

高円寺中の飲み屋でバンドのウワサが広まると、事件が起きた。
ある店でライブ・打ち上げをしていると、どう考えてもやくざ、という風体の入れ墨の男が現れた。
「おい、リーダーおるか」
打ち上げ席は凍りついた。


―3―

「おい、リーダーはお前か。ちょっと話があるんじゃ」

金井は、なんすか、と起ち上がった。いよいよ日本関軍、軍隊として戦闘命令でもでるのか、と、店の空気は緊張した。
しかし話をよく聞くと、当時関口が所属していた高円寺のソウルバンド、GO-GO-○○○というバンドのボーカルの男だという。
内容はこうだ。
うちのギターを、うちの関口を挨拶もなしにバンドに誘ったであろう、おぬしこの。つまりこの事だった。
しかし話し合いの結果、無償トレードということで、いや、うやむやな感じで、日本関軍に移籍したという事に落ち着いた。
ちなみに一緒に乗り込んできた子分だと思われていた男は、後で話を聞くと、そのバンド、GO-GO-○○○のベーシストで、「高円寺北口ツアー制覇記念・やすおバッチ」が欲しくて会場にきただけだった。

そんなこともありながら、毎月三本のペースでライブを続け、高円寺ペンギンハウスでのライブを収録した日本関軍1st CD『海賊版』を発売した。
あっという間に売り切ったので、現在、音源もCDも残っていない。

千葉県は船橋の『月』というライブハウスで演奏をするようになった。
その事件はその店でおきた。
事件などというと大変な事でも起きたかと思われるかもしれない。
しかしそれは大変というより忘れられないのだ。

ある日、船橋のライブハウスに向かうため、高円寺の駅、関口、郡司、澤田、金井と高円寺組で待ち合わせをした。
関口が来ない。
鬼電話で呼び出しをかけると、関口の居候先の女主人が関口の電話に出てくれた。
『ごめんね、今まで飲んでいて、いま大急ぎで準備させてます』
つまりこうだ。今、午後二時半。さっきまで何処かで酒を飲んでいたというのだ。
しかし意外、関口はギターを担ぎ、小走りで三時に現れた。脂汗をかいている。
そして彼は、「酔ってはいませんキャラ」を懸命に作って、ばつが悪い、申し訳なさそうに我々と総武線に乗り込んだ。
悪いと思って、土産話を持って来た。

『実はさっきまで飲んでた店でさあ…』


―4―

関口はおなかの調子が悪かったのだという。
悪かったしべろべろに酔っていた。 だからさっきまで飲んでいた店でほんの少し漏らしてしまったのだという。 「えー?!」と一同、笑ったのだが、「しかもさあ…」と、なにをいうかと思えば、金井の鬼電話に焦って、急いでいて、着替えてこなかったという。 「えー?!」と一同、今度は笑えなかった。 船橋に着くと関口は、もうパンツ、乾いたから大丈夫、といって、リハーサルをこなし、本番前にまたビールなど飲んでいる。 まったくもう。

本番が始まった。当時の演奏は荒く、勢い良く、音量もでかく、とにかく変に熱い演奏であったから、まだ酒の抜けていない、寝ていない関口は、おじいさんのように背を丸め脂汗をかきながら必死についてくる感じだった。
しかし後半、関口は徐々にエンジンがかかってきて、キラリと光るギターフレーズを弾きだした。
そのとき金井は異変に気がついた。
匂いだ。
熱い演奏でパンツの乾いた部分がとろーりとろけて、揮発しだしたのだ。
金井は関口のギターソロの間、この異変をトロンボーンの河合わかばに伝えようとした。
河合の耳元で「関ちゃん、うんこくさいです」といったが、我々の爆音でぜんぜん聞こえないのだろう、まったく伝わらない。
「関ちゃんが!う・ん・こ・くさい!!」大声で叫んでみたが、河合は金井の言葉を聞き取れない、良くわからなかったのだろうが微笑んで、親指をあげてイエイ、という仕草で答えた。
ステージは異様な匂いに包まれたが、しかしまあそれなりに盛り上がって終わった。
そんな感じで関口は、しばしば24時間、48時間、と飲み続け、リハーサルにも酔ったまま現れることがあった。

そんな関口にとうとう金井はキレた。
リハーサルや、ライブに遅刻したり酔って登場してはならぬ。
厳しい軍律が定められ、この事件をきっかけに隊員の気持ちも徐々に引きしまっていった。
そんな気がする。


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